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高知地方裁判所 昭和59年(ヨ)85号 決定 1984年7月11日

甲事件申請人

伊藤豊惠

甲事件申請人

岩井萬亀

甲事件申請人

住友信尾

乙事件申請人

松本亮子

右四名代理人

田村裕

被申請人

高知県国民健康保険団体連合会

右代表者

渡辺勉

右代理人

岡崎永年

主文

本件仮処分申請をいずれも却下する。

申請費用は、申請人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一申請の理由第1項の事実(当事者について)は当事者間に争いがない。そして、右事実、申請の理由第2項の事実(本件土地の地域環境について)のうち当事者間に争いのない事実及び疎明資料を総合すれば、一応次の事実が認められる。

1  当事者

(一)  申請人伊藤は本件土地の西側の伊藤方に、同岩井は本件土地の北側の岩井方に、同住友及び松本は本件土地の北側の住友方にそれぞれ居住しており、伊藤方、岩井方及び住友方は、それぞれ申請人伊藤、同岩井及び同住友がこれを所有している。そして、伊藤宅及び岩井宅はいずれも二階建の居宅であり、住友宅は平屋建の居宅である。

(二)  被申請人は、国民健康保険法八三条によつて設立された法人であり、その業務の概要は、別紙(四)記載のとおりである。そして、本件土地を取得し、同所にその新事務所として本件建物を建築することを計画し、昭和五九年四月一二日には本件建物の建築確認を得たものである。

(三)  なお、本件土地周辺の状況は、別紙(五)記載のとおりである。

2  地域性

本件地域は、高知市のほぼ中心部に位置する高知公園北側の通称スベリ山北西山麓に隣接した地域であり、現在は住宅街を形成している。もつとも、本件地域のほぼ五〇〇メートル以内には高知県庁、高知市役所、市民病院、高知県立中央保健所などの官公署又は公共施設があり、また、西方には近時城西公園が整備されるなどの諸条件が備わつてきたため、近年は土地の高度利用の可能性があり、本件土地のごく周辺においても、別紙(六)記載のとおり、四階建以上の建物が散見され、本件地域が第二種住居専用地域であることも考え合わせれば、今後も中高層建物が増加することが予想される。そして、住宅についても二階建が多く、住友宅のような平屋建は少なくなつている。

ところで、建築基準法は、中高層建築物による日照阻害を規制するために、建築物の高さを制限しているが、第二種住居専用地域については、高さが一〇メートルをこえる建築物が冬至日の真太陽時の午前八時から午後四時(北海道では午前九時から午後三時)までの間に、地上四メートルの高さの水平面(G・L四メートル)において、敷地境界線から五メートルをこえる範囲内に同法別表第三の二記載のとおり、二ないし五時間の範囲内で、地方公共団体が条例で指定する時間以上日影を生じさせる部分を生じてはならない旨規制している(同法五六条の二、同法別表第三)。もつとも、敷地境界線については、建築物の敷地が道路等に接する場合には、これらの反対側の境界線から当該敷地の側に水平距離で五メートルの線を敷地境界線とみなす(但し、道路等の幅が一〇メートル以内のときは、これらに接する敷地境界線はこれらの幅の二分の一だけ外側にあるものとみなす。)旨の緩和規定がある(同法五六条の二第三項、建築基準法施行令一三五条の四の二第一項。)

そこで、これを本件地域についてみるのに、同地域は、都市計画法上の第二種住居専用地域に指定されており、建築基準法五六条の二第一項所定の日影規制に関する条例としては、高知県建築基準法施行条例(昭和四七年七月一四日高知県条例第三〇号)が制定されているが、同条例三二条の二によれば、高知県では、建築基準法別表第三の(に)欄については、(二)が適用されることになる。また、本件土地の北側に隣接する本件道路は幅員6.4メートルであるため、日影規制上基準とされる敷地境界線については、同法施行令一三五条の四の二第一項所定の緩和規定が適用される。

3  申請人らの日影被害

本件建物が完成すれば、申請人らは、次のとおりの日影被害を受けることになる。

(一)  伊藤宅

伊藤宅一階南側開口部の西寄り部分及び東寄り部分の各窓の中心部(いずれもG・L1.67メートル)を基準とすれば、冬至日においては、それぞれ午前八時から午前九時三三分ころまで及び午前八時から午前一〇時〇七分ころまで日影を生じることになる。しかしながら、伊藤宅の南側には申請外西山利平所有の二階建居宅(別紙(三)記載4の建物)が存在しており、前記基準によれば、これが冬至日に伊藤宅に与える日影時間は、前記西寄り開口部で午前八時から午前一一時四〇分ころまで、また、前記東寄り開口部で午前九時一〇分ころから午後一時三〇分ころまでであるから、結局、本件建物の独自日影による日影被害は、東寄り開口部において、午前八時から午前九時一〇分ころまでの約一時間一〇分に限定される。

他方、G・L四メートルを基準とすれば、冬至日における日影は、伊藤宅一階南側開口部において、午前八時から午前一〇時過ぎころまでとなり、四時間の日影には達しない。

(二)  岩井宅

岩井宅の一階南側開口部の西寄り窓及び東寄り窓の各窓の中心部(それぞれG・L3.59メートル及びG・L三メートル)を基準とすれば、冬至日においては、それぞれ午前八時から午前九時四五分ころまで及び午前八時から午後零時五〇分ころまで日影を生ずることになる。しかしながら、前述のように、本件土地の北側には幅員6.4メートルの本件道路が存し、本件土地と連接しているから、建築基準法所定の前記日影規制の適用については、本件土地の敷地境界線は、3.2メートル北側にあるものとみなされることになる。そこで、現実の本件土地の北側境界線から8.2メートル北側に右境界線と平行な直線を想定し、右直線上のG・Lを四メートルとすれば、右地点が冬至日に本件建物によつて受ける日影は、午前八時から午前一一時三〇分ころまでとなり、四時間の日影には達しない。

(三)  住友宅

住友宅の一階南側開口部の窓の中心部(G・L1.4メートル)を基準とすれば、冬至日においては午前八時から午後二時五〇分ころまでの日影を生ずることになるが、立春における日影は午前八時から午後一〇時過ぎころまでである。しかしながら、前記岩井宅の場合と同様の理由により、本件土地の北側境界線から8.2メートル北側に右境界線と平行な直線を想定し、右直線上のG・Lを四メートルとすれば、右地点が冬至日に本件建物によつて受ける日影は、午前八時から午前一一時三〇分ころまでとなり、四時間の日影には達しない。

4  本件建物建築に至る経緯

(一)  本件建物の規模、構造は、別紙(一)記載二のとおりであり、建ぺい率は六八パーセント、容積率は一二九パーセントである。

(二)  被申請人は、昭和五三年四月から行われる保険者事務電算処理共同事業実施に備え、同年三月に現事務所に事務を移転した。

ところが、その後、被申請人の取扱事務がその範囲及び量の両面から増大しているにもかかわらず、現事務所は右事務の増大に対処できるだけの広さがなく、とりわけ、近い将来に実現する医療費請求書の磁気テープ化のために必要となる電算機を収納する余地を確保することができない状態にあつた。更に、現事務所では、車による来訪者のための駐車場の設備もなく、これらの者に不便をかけていた。

そこで、被申請人は、その取扱事務の連絡又は連携の便宜を図るべく、県庁を中心とする官公庁、市町村関係機関の集中する県庁付近において将来の事務処理に対応できるだけの規模の建物を建築できる土地を捜していたところ、本件土地が右条件を充たしていたので、昭和五八年一〇月六日にこれを取得した。

(三)  被申請人は、当初新事務所を別紙(七)の1欄記載の四階建とすることを計画したが、右建築につき、周辺住民の事前の了解を得るべく、昭和五八年一一月三〇日に本件土地の所属する高知市丸ノ内二丁目町内会関係人一四名に対し、被申請人の事業の概要並びに新事務所建築計画に至るまでの経過及び設計の概要等を説明したが、右住民は、基本的には右建築に反対する旨の意思を表明するとともに、建物を二階又は三階にすること並びに建物の位置を東側(共産党事務所)寄りにすることなどの要求をした。

そこで、被申請人は、右説明会の結果を踏まえて内部的に検討した結果、当初予定していた四階建を維持しては付近住民の同意は得られないとの結論に達し、同年一二月一五日の理事会でも設計を別紙(七)の2欄記載のとおり変更することが了承されたので、昭和五九年二月一一日には、右変更設計を前提として、前記町内会関係人六名に対して改めて説明を行い了承を求めたところ、住民は、更に建物の高さを一〇メートル以下に押えること、建物は本件土地の南側一杯に寄せ、その西側及び北側には空地を設けること並びに駐車場は地下に設置すること等の要求をし、これを取りまとめた形での要望書が同月一三日付けで前記町内会長名義で提出された。

これらの要望を受けた被申請人は、再度検討を加えた結果、建物の高さを全体で三〇センチメートル下げ(半地下から一階までを一一五センチメートルから九〇センチメートルに、一階から二階までを三八五センチメートルから三八〇センチメートルに)、その位置も東側に三〇センチメートル寄せるなどの設計変更をすることとし、同年三月八日の説明会においてその旨説明したが、申請人岩井(同人は弁護士でもあることから、被申請人との折衝に当たつては、町内会でも中心的な立場にあつた。)は、なおもこれを不服として建物を更に南側に寄せるよう要求した。そこで、被申請人は、更に、同月二九日、同年四月一一日の二回にわたり、申請人岩井との間で話し合いの場を持つたものの、同人は、前記主張を繰り返し、被申請人においてもこれ以上の設計変更はできないとの結論に達したため、結局、交渉は物別れに終わつた。

その後、同月一二日に本件建物の建築確認が得られたので、被申請人は建物を建築することとし、同月一六日に請負業者の入札を行い、本体工事については、奥村、大旺建設工事共同企業体、電気設備については申請外四国電業株式会社がそれぞれ請負業者と決定されたので、その旨、地鎮祭の日取り及び工期等を同月一九日付けで前記町内会長宛てに通知したところ、申請人松本を除く申請人らは、同月二〇日に甲事件仮処分申請をした(申請人松本については、同年五月三〇日に乙事件を申請。)。

(四)  このように、本件建物は、二度にわたる設計修正を経て現在の二階建に決定されたものであるが、駐車場を本件土地上に設置しないようにとの住民の希望に応え、これを半地下に設置したこともあつて(これによつて収容可能自動車台数も一二台から八台に減少した。)、本件建物の高さをこれ以上切下げることは、建物の効用上きわめて困難であるうえ、将来予想される被申請人の事務取扱量の増大などに照らせば、本件建物の延面積をこれ以上減少させることも困難であつた。更に、本件土地は、別紙(五)記載のとおり、東側が短く、西側が長い台形状の形状をしているため、当初予定していた建物の延面積を維持しつつ、これを申請人らの主張するように本件土地の南側に沿つて建築することはできず、その北側及び西側に沿つて設計するほかない状況にあつた。

二そこで、右認定の事実を前提として、本件建物による日影被害が申請人らの受忍限度を超えて違法であるかどうかを検討する。

1 申請人伊藤、同岩井及び同住友は、各自の所有する土地及び建物についての物権的請求権を、申請人らは、各自の生活上の権利をそれぞれ被保全権利として本件建物の建築の差止め及び設計の変更を請求しているところ、これらの請求権がどのような要件の下でいかなる限度において認められるのかはともかくとして、少なくともこれらが認められるためには、本件建物の建築によつて申請人らがこれまで享受してきた日照が侵害され、しかも、右侵害が単に社会生活上一般に受忍すべき限度を超えた(この場合には、金銭賠償により満足されるべきである。)というに止まらず、右受忍限度の逸脱が特に著しいと認められるほどに違法性の強い場合であることを要するものと解すべきである。よつて、以下、本件においてこの点を検討する。

2 本件建物は、その高さが一〇メートルを超えるものではないから、そもそも建築基準法に定める日影規制の対象とはならない。また、仮に、その高さを実質的に一〇メートルを超えるものと同じように評価したうえで、同法五六条の二第一項所定の日影規制を検討しても、いわゆる四時間日影規制に合致している(この場合のG・Lは四メートルであり、敷地境界線については、同法五六条の二第三項、同法施行令一三五条の四の二第一項の適用がある。)ことは明らかである。よつて、本件建物は、建築基準法上の規制には合致し、その点における違法はない。

もつとも、同法所定の日影規制は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする同法の目的(同法一条)に合致するような一応の社会的規準を行政の側面から画一的に定めたものであるから、右日影規制に適合したからといつて、それだけで直ちに当該建物に対する工事の差止め又は損害賠償責任を免れることにならないことは、明らかである。しかしながら、右規制は、市街地を低密な住宅地、中高層化の進んでいる住宅地などに区分したうえで、右区分ごとに、それが現在享受している日照量及び都市の立体化の程度などについての現状と将来の計画とを勘案して社会的合意の得られる水準を想定したうえで、当該区域に必要な日照量を定め、更に、その細部については、当該区域の所属する地方公共団体において、その地方の気候及び風土並びに土地利用の状況等を勘案して定める条例に委ね(同法五六条の二第一項)、もつて、日影を規制しようとするものである。そして、こうした規制は、その範囲内における私権の行使に一応の社会的妥当性を持たせ、その限りにおいてこれを私権の行使の適法性判断の一要素たらしめ、更に、右基準に適合する建物が当該市街地内に建築されることによつて、将来における当該市街地の健全な発展と秩序ある整備が図られることを期待したものであると解される。従つて、この点に照らすならば、当該建物が同法所定の日影規制に合致していることは、これによる日影被害が被害者の受忍限度を超えるかどうかという受忍限度の判断に当たり、一つの重要な判断要素となると解するのが相当である。

3  また、現実の日影被害を前提としても、伊藤宅及び岩井宅の日影被害は、冬至日においても比較的軽微であるというべきである。もつとも、住友宅については、冬至日における現実の日影被害は相当深刻であることが認められるものの、立春においては、一階南側開口部で三時間を超えることがないことが認められるから、一年を通じての日影被害は、必ずしも顕著かつ重大であるとはいえない。

なお、申請人らは、個別的事情として、同伊藤については、栽培園芸に必要な日照の阻害、同岩井については、弁護士としての執務に対する阻害をそれぞれ主張するが、こうした阻害が現実に存することを認めるに足りる疎明はないうえ、仮に、右の各事実が存在するとしても、前示の日照状況に照らすならば、これらの事由の存在をもつて直ちに本件建物の建築の差止めを求めることができないことは、明らかである。

4  更に、前記疎明事実によれば、被申請人は、申請人らを含む付近住民らとの間でほぼ四か月間にわたり交渉を継続し、その間に本件建物につき二度も設計を変更して住民の意向に最大限沿うよう配慮するなど、申請人らの了解を得るために十分な誠意を尽したことも認められる。

5  よつて、前記2ないし4の事情に本件地域の現状及び本件仮処分申請当時には既に本件工事について請負人との間で請負契約が締結されていることその他諸般の事情を総合考慮するならば、住友宅における前記日照被害を最大限考慮しても、本件建物の完成によつて申請人らについて生ずる日影被害は、いまだ社会生活上一般に受忍すべき限度を著しく逸脱したものとは認めることができないというべきである。

6  なお、申請人らは、本件建物の配置変更の容易性及び構造についての設計変更の容易性等をも受忍限度判断の要素として考慮すべきである旨主張しているが、このような変更が容易であるとの疎明はないうえ、日照阻害が前示の程度に止まる本件においては、仮にこれらの事実が認められるとしても、これをもって受忍限度を著しく逸脱したものと判断することはできないというべきである。

三結論

以上のとおり、本件仮処分申請は、結局その被保全権利について疎明がないことに帰するところ、本件においては、疎明に代る保証を立てさせて右申請を認容することも相当でないと認められるので、これを却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり決定する。

(山口茂一 大谷辰雄 田中敦)

別紙(一)〜(七)<省略>

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